福島民友の「みどりの作文コンクール」受賞作、メガソーラーによる自然破壊の悲しさを訴える。福島民友はどう応える?

先日、「福島民友」社が毎年主催する「みどりの作文コンクール」の受賞作が、同社の紙面に掲載されました。その中で小学校高学年の部の金賞受賞作は。祖父から伝えられた地元の自然の美しさを愛でる気持ちが、メガソーラーによって踏みにじられた悲しみについて書いています。
 → 福島民友「みどりの作文コンクール」金賞受賞作 「祖父の姿とこれからの福島」福大付属小6年
 この中で、メガソーラーによる景観破壊について、「突然現れた銀色の人工物は、あまり良い印象はなく、心の中に違和感が残った」と抑制的に書いていますが、文脈から察するに、本当は大人たちに声を大にして「なにやってんだよー、じいちゃんを悲しませんなよー」と叫びたかったのではと想像したりもします。こうした抑制的な書き方を見ると、われわれ大人や先生たちが、子供の自然な感情の発露を阻んでいるのではないかと反省もさせられます。
 ところで、福島民友社は、この作文コンクールの狙いについて「福島県のかけがえのない財産である「緑」を継承していくために、「緑の大切さ」「森林と自然の保全」などに対する関心と意識を高めることを目的に、県内の児童・生徒から作文と提言を募集し、優れた作品を表彰・発表するもの」と説明しています。→ 福島民友 みどりの作文コンクール募集案内 
 本当に同社が、福島県の山と緑を「かけがえのない財産」と認識しているのであれば、県内各地で進む林地開発を伴う乱開発型のメガソーラー問題に対して、自社の力を結集し、社論をあげて調査・批判・問題提起をして然るべきでしょう。自らが掲げた理念や価値に基づく行動はほとんどとらずに、児童から作文を集めて、主張を代弁してもらっているようでは、情けないこと限りなしです。ましてや、その主催者が「一応」言論機関のはしくれの「新聞社」なのですから、なおさらにそうです。率直に申し上げて、このような地元のメガソーラーに対する違和感・批判を、子供の口を通して語らせるとは、何たる新聞社化と憤慨せざるを得ません。以下、福島弁で言いなおします。
 「ほんと、みったぐねえなあ。福島民友。いいかげん、目え覚ましてくらんしょ、民友のお偉いさんがた。あんただぢが、地元の山ぶっこわさっちゃっても、見でみぬふりして黙ってっから、子どもだぢが「おがしねぇな、なしてこだこどなったのー」って聞いでんだぞい。泣いてんだぞい。こだごど、子供さ言わせねえで、自分でしゃべれっつうの!」
 曲がりなりにも地元(風)の新聞社ですから、福島弁に通訳なんて必要ないですよね?
 とにもかくにも、相変わらず、この地元を揺るがすメガソーラー問題に対して、確たる自己主張もなければ社論もなく、お上やスポンサーのご意向ばかり気にして躊躇っているなら、「福島官友」の汚名返上への道は遠いですよ。「みどりの作文」集めるだけでなく、福島の緑を壊す輩に対して筆鋒をふるい、「みどりを守る論陣」をしっかりと張ってくらんしょない。それが地元の新聞社に当然期待されるべき気概ってもんでしょ。
 馬場市長にも一言。市長さんの母校の後輩が泣いていますよ。市長さんもOBとして、益々、頑張ってくらんしょ。

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