去る9月30日に、住民の意向を無視して強硬売電開始された先達山のメガソーラー。これを地元のテレビ局が、一斉に批判的に報じたことは先にお知らせしたとおりです(本サイト記事 25/10/1「福島のテレビ局、売電開始への批判的報道で足並みそろう」)。
これに対して地元紙はどうだったでしょうか?以下、福島民友社、福島民報社、そして全国紙である朝日新聞との報道スタンスの違いをご覧ください。地元紙の情報量の少なさは一目瞭然です。地元民の不満が渦巻き、今や全国的な問題としてメディアで広く報じられている先達山問題について、地元を代表する二紙は全く踏み込んだ報道をしません。両紙は県庁や市役所の広報活動の一部を請け負ってますから、「お客さん」である行政には遠慮があるのでしょう。あるいは、先達山事業に20億の融資を行っている地元の東邦銀行さんのご意向を忖度しているのかもしれません。
いずれにしても、この二紙が福島で圧倒的シェアを持つことを考えれば、それ以外の全国紙を購読しない限り、福島の人々の大半は、自分の生活圏を脅かす先達山問題について、深く知り、考える機会を得られません。これでは、地元紙が意図的な情報操作・統制を行っているのではと疑われても仕方ありません。

まず、「朝日新聞」の福島版から見ていきましょう。
朝日は、9月30日の売電開始に合わせて、連載記事の掲載を開始します。
その第一回では、先達山問題の経緯をわかりやすく紹介します。
そして、市役所が先達山の景観審査を疎かにした可能性について指摘します。
さらに、事業者に対して法令的に何もできないという市役所側の弁明に対して、過去には吉田修一市長が、先達山開発に断固反対して、事業者を押さえた事実や、
現役の木幡市長もまた、花見山での開発事業に対しては、法的権限にかかわらず政治的に介入し、事業者を撤退させた事実を自ら市議会の答弁で述べた事実を紹介しています。
つまり、首長が本気で、政治力を行使すれば、事業者に相当な圧力を行使できることを裏付ける事実があることを報じているわけです。
こうした事実は福島市民の多くにとっては初耳であり、まさに報道する価値がある重要な事実です。

そして、朝日新聞・福島版は、翌日の10月1日の紙面では、前日に正式に営業運転が始まった事実を報じるともに、この事業を推進してきた事業者の問題を取り上げます。
この記事の中で、朝日は、先達山開発を主導してきたAmp社のみならず、この事業に融資したSBI新生銀行、東邦銀行、七十七銀行などの銀行名はもちろんこと、最大の投資企業であるZエナジー、その株主のNTTアノード、大阪ガス、三菱UFJ銀行などの企業名も具体的に上げることで、この事業が外資ではなく、日本企業に支えられていることを明らかにします。
そのうえで、各社にコメントを求め、その回答も紹介しています。
こうした報道により、先達山事業で利益を上げる企業が誰であり、またその企業の住民・社会に対する姿勢を明確にしています。
さらに、こうした先達山事業者側の問題をいち早く調査して、公表し、その責任を問うてきた本会の活動も詳しく紹介しております。
これにより、福島の地元民が皆、ただ黙って事態を傍観していたわけでなく、地元の異変を察して、主体的に問題提起してきた事実を報じます。
言うまでもありませんが、福島の民の間には先達山開発に対する強い反発があり、住民は声を上げ続けています。
この当たり前の事実が報じられなければ、他地域や他県の人には、地元の山を破壊されて、福島の人々は大人しく黙ってみているのかと誤った印象を与えてしまうでしょう。
その点、本会が単に反対を目的とした団体ではなく、この間、自主的な調査・注視活動をしてきたことを紹介してくださったことはありがたいです。

そして、連載の最終日。
先達山の工事・施工の問題について、福島大学の柴崎教授の見解などを載せています。
土砂崩れ・地すべりは、周辺住民の生命・財産を脅かす可能性があり、その危険性が専門家から指摘されている事実は、住民が広く知るべき事実です。
また、柴崎先生の指摘は、行政側にも伝えられておりますので、これを行政側がどう受け止め、どう対応しようとしているのかも、住民の大きな関心事項です。
このように、朝日新聞は三日間にわたる連載を通じて、先達山問題の要点を的確に整理し、かつ住民が求める情報、考えさせるきっかけを数多く提供しています。

それでは、続いて、我らが地元紙、「福島民報」の紙面
を見てみましょう。
左が売電開始翌日の10月1日の紙面。
単なる事実の提示のみ。独自に取材を重ねた形跡は全くありません。
本会代表の声も簡単に報じていますが、本会がどんな活動をしてきたのか説明なく、記者会見の内容も詳しく紹介しません。
先達山の惨状を示す写真も載せていますが、どうせ載せるなら、民報社の社屋から撮った写真を載せればよかったのではないでしょうか?

自社ビルから、故郷の山が無残に破壊され、約束したものとは全く異なる景観が出現していく様を、民報社員は毎日見続けてきたはずです。
それにもかかわらず、民報社は、この問題に目を背け、この工事の異様さやその背景を追求することを怠ってきました。
先達山の景観も異常ですが、まさに文字通り、目の前の問題に目を背ける民報社の姿勢も異様です。

そして、最後に民友新聞の10月1日の紙面。
民報よりもさらに内容の乏しい「ベタ記事」。
先達山問題を報じたくない、という姿勢が伝わってきます。
実は、民友社は先月(25/9/3)に、これまで目を背けてきた先達山問題について、初めて写真入りで、多少批判的に報じました。➡同記事はこちら「メガソーラーに住民複雑」
しかし、今回の報道を見る限り、完全る後退・退化です。
行政や事業者から何か圧力かかったのでしょうか?上層部の忖度でしょうか?
そうだとしたら、現場の記者さんたちはかわいそうです。
以上で見てきた通り、全国紙である「朝日新聞」と、地元紙である「民報」「民友」の先達山報道に対する姿勢、その報道内容と質は、まさに雲泥の差です。
ちなみに、この福島の二大地元紙である民報と民友はともに、明治期の自由民権運動にルーツを持つ新聞社であり、その歴史を誇っております。
しかし、今日の報道姿勢を見るならば、そんな過去の栄光はどこへ行ったのやら。「自由民権」のかけらも残っておりません。
もはやこの二紙は「民」の声を「報」じることはありませんし、「民」の「友」でもありません。
先達山に限らず、地元で賛否の問われる政治・社会問題に対して、自社の立ち位置を明確にせず、批判的に物事を論じるという姿勢が乏しすぎます。もはや、新聞というよりはタウン情報誌に化したとみるべきでしょう。
これを機会に、会社名の変更をお勧めします。
「福島官報」「福島官友」、あるいは「福島財界の友」が良いでしょうか。
こうした「新聞」が何十万部と読まれ続けるのが、福島の現実。悲しいかな!!
地元民としては認めたくはありませんが、やはり、福島の言論・報道の自由のレベルは、どこぞやの途上国と変わらず、まだ「夜明け前」と言わねばなりません。
いまだに「夜明け前」なのですから、自由民権運動が起きるのはこれからです。両紙も地元紙を名乗るなら、今こそ、自由民権の原点に立ち返る時です。
「木曽路はすべて山の中である」そして「福島の山はすべてパネルである」。
これが福島の「夜明け前」の現状なのですから。