矢吹武さんの画集から

先達山の景観破壊は、福島の多くの人々に悲しみと痛みをもたらしました。

ここで紹介する矢吹武さんの画集『雪うさぎの涙」には、そうした福島人の悲しみと嘆きが、多少のユーモアと反発心ともに見事に表現されています。

矢吹さんは、「吾妻の景観と自然環境を守る会」の会長として、いち早く行動し、先達山の工事中止を求める約4000名の署名を集めて、県当局に提出したことで知られます。他方で、矢吹さんは芸術家でもあり、福島人の心情を込めた絵画を多数お書きになっており、それをまとめたのが今回紹介する画集です。

この画集については、福島県三春町在住の芥川賞作家・玄侑宗久さんも、『福島民報』「日曜論壇」で紹介しています。(リンクは、こちら

画集の著作権は矢吹武さんにありますが、ご本人の承諾を得たうえで、松谷のコメントを添えて、本サイトで紹介させていただきます。

本当に美しいところでした。

それが、なぜこうなるのでしょう。

観光客もがっかりです。

あるいは、こんな質問もしたくなるでしょう。

かつては景観のおかげで、むしろ味わいが増していたのですが。

変わり果てた故郷の風景に驚くのは、むしろ帰省客

高村智恵子は、こう言っていたそうです。

智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、 切つても切れないむかしなじみのきれいな空だ。

戸惑うのは観光客、帰省客だけでない。

ご先祖様も。

私たちが次世代に残すべきものは?

地元に根を張らない人間には、わからないだろうな。

この気持ち。

人も、獣も、鳥も。

雪うさぎもモモリンも去っていく。

え、雪うさぎを知らないって?

君は福島にいながら、春先の吾妻山を見上げたことがないのか?

いやいや、着物の裾を汚す以上のみっともなさでしょう。

古関裕而先生には、別の曲を頼みましょうか。

「ああ、せーんだつに、パネルかがやーく」

しかし、市民の声は消えることはない。

そして、私たちの「注視」は続く。

期待した私たちが、間違ってたんでしょうね。

業種の違いもあるのではないでしょうか。

地元から遊離したまま、短期的利益を求める金融業。

地元からの信頼なくして、長期的な事業はできない住宅メーカー。

わずか14年前のことなのに。

原発事故の痛みから、私たちは何を学んだのか?

後で気づいた時には、もう遅い。

こんな悲しい四季はない。

芸術作品だけではありません。

住民が作った「展望ベンチ」からの景観も壊されました。

本サイト「はげ山ギャラリー」もご覧あれ。

「東北のウォール街」は今は過去。

現在の「ウォール街」に鎮座するのは東邦銀行本店。

きっと社屋からも、先達山が壊れていく様子がよく見えているのではないでしょうか。

東北のウォール街が失ったのは、素晴らしい建物だけではありませんよ。

美しき、風情のある街に対する愛情と責任感も・・・

福島市民でない方にちょっと解説。

「たねまきうさぎ」とは、春の種まきの季節になると、雪が解けて吾妻山の斜面の残雪が「うさぎ」の模様に浮かび上がるのです。

だから、これを「雪うさぎ」とか「たねまきうさぎ」と呼ぶのです。

でも、もはや、この風景画を描こうと思ったら、否応なく、目に飛び込んでくるのがパネルなんですよ。

フクロウ先生のおっしゃる通りと思います。

かつて、ドイツのヘーゲルという哲学者は、こういったそうな。

「ミネルヴァのフクロウは、迫り来る黄昏と共にようやく飛び始める」

これには深い哲学的意味があるんでしょうが、我らにはよくわらない。

でも、フクロウさんはきっと、福島の惨状/没落/黄昏という現実を見て、警告を発してらっしゃるのか、

あるいは、この街に見切りをつけて、飛び去って行ってしまうのではないでしょうか?

これは、全くの現実です。

先達山のふもとに行ってごらんなさい。

雨の後なんかとくに、濁った水が流れてますよ。

工事が始まる前の水質を知っている地元の方に尋ねてみてください。

河川工学の専門家も、メガソーラーによる保水力の低下、泥水による下流域の水質悪化、地下水の減少など様々な科学的知見からの警告を発し始めています。

事業者や行政は、こうした下流域の水質を細かくチェックして、定期的に住民・市民に広く公開していますか?